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2026年10月の診療状況

★1 2026年10月の診療状況
・長雨や気圧変化の時期に、倦怠感・頭痛・めまいを訴える方が目立ちました。
・ぎっくり腰、喘息による不眠や、秋の花粉症による倦怠感の方も目立ちました。

★2 新型コロナ・インフルエンザ感染症について
・現在、インフルエンザの流行が拡大しています。また、新型コロナウイルス感染症も引き続き発生していますので、お気をつけください。
・新型コロナ・インフルエンザ感染症は、マスク・換気・手洗いなどの基本的な対策で感染リスクを下げやすい感染症です。軽症で済むこともありますが、後遺症や基礎疾患への影響を考えると、できるだけ感染を予防するに越したことはありません。流行状況を分かりやすく共有し、必要な時期に適切な感染対策を行うことは、社会全体の安心や医療負担の軽減にもつながると考えています。

<院内の対応>
・不織布マスクの着用を来院者全員にお願いしております。
・クリニック全員で予防・対策(常時換気・消毒・有症状者へのドライブスルー診察)を継続して参ります。
・二酸化炭素モニター(院内3箇所に設置)を使用して、院内の換気の適正化を行っています。
・院内感染対策の動画研修を院内で定期的に行っています。
   
★3 最近感じたこと

シンガポール旅行記②中編

― Chinatown、Sentosa、Little Indiaから歴史を考える ―

前回は、MRTやGrab、非常に高い自動車、HDB、そしてドリアンなど、実際にシンガポールへ行って驚いたことを書きました。

今回は、街を歩いていて気になった「民族と歴史」の話です。
シンガポールは非常に小さな国ですが、場所によって街の雰囲気が驚くほど変わります。

Chinatown(中国系文化)。Kampong Glam・Arab Street(マレー・イスラム文化)。Little India(インド系文化)。
なぜ、この小さな島にこれだけ違う人々が集まったのでしょうか。

調べ始めると、現在の街並みと昔の歴史がかなりきれいにつながってきました。

金融街のすぐ隣がChinatown

高層ビルが並ぶ金融街を歩いた後、Chinatownへ向かいました。
少し歩くだけで、英語中心だった看板に漢字が増え、寺院や食堂が並び、街の雰囲気が一気に変わります。

現在のシンガポール居住者の民族構成は、
中国系 73.9% マレー系 13.5% インド系 9.0% その他 3.6% です。
中国系が圧倒的に多い国なのです。

【写真:金融街】

【写真:Chinatown】

では、なぜ中国系住民がこれほど多いのでしょうか。
中国全体がイギリスの植民地だったわけではありません。

しかし1819年以降、イギリスがシンガポールを自由港として発展させると、中国南部から多くの人々が仕事と商売の機会を求めて渡ってきました。福建、潮州、広東、海南など、出身地域ごとに言葉も文化も違います。

シンガポールは自由貿易、仕事の多さ、比較的自由な移民政策などによって中国系移民を強く引きつけ、1836年にはすでに中国系が最大の民族集団になっていました。

「華僑」と「華人」は少し違う

ここで「華僑」という言葉も気になりました。一般には、中国との国籍的・政治的なつながりを残して海外で暮らす人を「華僑」、国籍にかかわらず中国系の人々を広く「華人」と呼びます。

初期の移民には、「海外で稼いで、いずれ中国に戻る」という人も多かったのでしょう。
しかし世代を重ね、シンガポールで生まれ、シンガポールを故郷とする人々が増えていきます。

現在の中国系シンガポール人を単純に「華僑」と呼ぶのは、少し違うわけです。

今はリゾートのSentosaですが……

翌日はSentosaへ行きました。
現在はホテル、ビーチ、テーマパークなどが並ぶ完全なリゾート地です。

ところが調べてみると、80年ほど前まで全く違う役割を持った島でした。
Sentosaの旧名は、Pulau Blakang Mati。

イギリス統治時代には、シンガポール港を守るための軍事拠点が置かれ、現在もFort Silosoが残っています。
そして1942年、日本軍がマレー半島を南下してシンガポールへ侵攻し、シンガポールは日本軍の占領下に入りました。

SentosaのFort Silosoは、日本占領中には英国・豪州軍捕虜の収容所となり、日本の敗戦後には逆に日本兵の捕虜収容所として使われています。

現在ビーチで観光客が遊んでいる場所が、80年ほど前には軍事拠点だった。
同じ「海峡の入口」という地理的価値を持ちながら、軍事拠点から観光地へ、役割が変わったわけです。

【写真:Sentosa】
 

↑リゾートっぽい雰囲気です。


↑マリーナにはヨットがたくさん並んでいました。

Arab Streetに行くと、今度はイスラム世界

別の日にはArab Street、Kampong Glamへ行きました。
金色のドームを持つSultan Mosqueがあり、Chinatownとは全く違う雰囲気です。

この地域にはかつてJohorのSultan Hussein Shahの王族が暮らし、マレー系だけでなく、ジャワ、スマトラ、アラブ、中国、インドなどさまざまな人々が集まっていました。

【写真:Arab Street】


【写真:Istana Kampong Gelam。かつてマレー王族が暮らした旧王宮(1890年完成)。現在はMalay Heritage Centreとして利用されています】

現在、マレー系住民というとイスラム教というイメージがあります。
しかし、マレー世界が最初からイスラム教だったわけではありません。

もともとの精霊信仰や祖先信仰の上に、インドとの交易を通じてヒンドゥー教や仏教、サンスクリット文化が入りました。
その後、12~15世紀頃からイスラム教徒の商人や宗教者がインド洋を通じて東南アジアへやってきて、沿岸の港湾国家が次第にイスラム化していきます。

かなり大ざっぱに書くと、

土着信仰
↓
インド文化・ヒンドゥー教・仏教
↓
イスラム教

という流れです。

もちろん古い文化が消えてしまったわけではなく、いろいろな文化が地層のように重なっています。

では、なぜタイは仏教国のままなのか?

ここで疑問が出ました。
同じ東南アジアなのに、なぜマレーシアやインドネシアはイスラム圏になり、タイは現在も仏教国なのでしょうか。

一つのポイントは、海洋交易を中心とするマレー世界と、大陸の王国を形成したタイの違いだと思います。
マレー半島やスマトラの港湾国家では、インド洋を行き来するイスラム商人とのつながりが非常に重要になりました。

一方、タイでは上座部仏教が王権や僧団と深く結びつき、国家の制度や正統性の中に組み込まれていきます。いったん宗教が王権や社会制度そのものに深く組み込まれると、単に新しい商人が来たからといって置き換わるものではありません。

ここは日本にも少し似ている

そう考えると、日本も少し似ています。
日本にも仏教以前から神々への信仰があり、6世紀頃に大陸・朝鮮半島を経由して仏教が伝わりました。

そして奈良時代になると、仏教は個人の信仰にとどまらず、国家を守る仕組みに取り込まれます。
聖武天皇による東大寺の大仏や全国の国分寺・国分尼寺は、その象徴です。いわゆる鎮護国家です。

つまり日本でも、土着の信仰+外来の仏教+国家 が結びつきました。もちろん、日本とタイでは仏教の宗派も政治制度も違いますし、日本はインド洋イスラム交易圏からかなり遠いので単純比較はできません。

それでも、

仏教が国家形成の中に深く組み込まれた日本・タイ

と、

海上交易を通じてイスラム化していったマレー世界

を比較すると、現在のアジアの宗教地図が少し理解しやすくなります。

Little India――なぜインド人、それもタミル人なのか?

Arab StreetからLittle Indiaへ行くと、また街の雰囲気が変わります。
カラフルな建物、ヒンドゥー寺院、インド料理店、そして見慣れない文字。

そこで気になったのが、なぜシンガポールでは、インド系の中でもタミル人の存在感が大きいのか? ということでした。

【写真:Little India】
 

【写真:有名なヒンドゥー教の寺院:Sri Veeramakaliamman Templeの入口】

※Sri Veeramakaliamman Templeについては、Singapore Tourism Boardにて、参拝者への配慮を条件に写真撮影できると案内がありました。

一つには地理があります。
タミル人の中心地である南インド東岸、現在のTamil Nadu周辺は、ベンガル湾を挟んで東南アジアと向き合っています。

イギリス統治以前から、Coromandel Coast(インド南東部の海岸)の商人たちは東南アジアと交易していました。
そして19世紀になると、さらに大きな理由が加わります。

大英帝国です。

当時の南インドにはMadras Presidency(イギリスの南インド統治の拠点)があり、Singaporeを含むStraits Settlements(イギリス植民地としての名称)も長く英領インドの行政・経済ネットワークに組み込まれていました。

兵士、警察官、役人、商人、港湾労働者、建設労働者、さらにインド人囚人までがシンガポールへ移動しました。
当時、英領マラヤ(19世紀から20世紀にかけてイギリスがマレー半島やシンガポールなどの地域に築いた植民地や保護国の総称)に渡ったインド人労働移民では、約9割がタミル語話者だったとされています。

一方で、タミル系のChettiar(カーストグループ)と呼ばれる人々は商人・金融業者として活動しました。
つまりタミル系社会は、

古くからの海上交易 +大英帝国内部の人の移動

という二つの歴史からできたわけです。

人が集まれば、文化も混ざる

ここまで調べると、さらに面白いものが出てきます。

**Peranakan(プラナカン)**(Wikipediaへのリンクです。手持ちの写真なかったので参考までに)です。

有名なのは中国系Peranakan、いわゆるBaba-Nyonyaです。

中国系移民の子孫がマレー世界に定住し、現地の文化を取り込みながら、中国文化とマレー文化などが融合した独自の料理、衣服、言語、生活文化を形成しました。

単純に「中国人とマレー人のハーフ」という意味ではなく、何世代にもわたって作られた独自の共同体です。

港とは、商品だけが行き来する場所ではなく、人が出会って、新しい文化まで生まれる場所だったのだと思います。

街を歩いていたら、結局「地理」の話になってきた

Chinatown。Sentosa。Arab Street。Little India。最初はそれぞれ別々の観光地として歩いていました。
しかし調べていくと、

中国系住民がなぜ多いのか。

なぜマレー人はイスラム教なのか。

なぜインド系ではタミル人が多いのか。

なぜPeranakanのような新しい文化が生まれたのか。

すべての背景に、「シンガポールがどこにあるのか」という問題が見えてきました。
では、そもそもなぜこの場所が、それほど多くの人や文化を引き寄せたのでしょうか。

その答えがかなり分かりやすく展示されていたのが、今回とても面白かったアジア文明博物館でした。

【写真:アジア文明博物館の外観(正面写真撮ってなかったです)と入口】


そこからさらに、Raffles以前の交易港、二つの東インド会社、埋め立てで変わった海岸線、そして現在の金融都市シンガポールまで話がつながっていきます。

後編に続きます。

※掲載写真は、特記のないものは院長が現地で撮影したものです。

★4 最近の読書

<読書> 多様な価値観・考え方に触れることができ、有用と思います。特に歴史から学ぶことは多いと思います。
→今月は、旅行記があるので、お休みします。

★5 最近よく使うAI
<ChatGPT>
・月20ドルで契約しています。
・自分の関心や過去のやり取りに合わせて、ある程度カスタマイズされた回答をしてくれます。
・プロジェクトを入れると、その中のチャットを参照して答えてくれます。
・ブレインストーミングする時、ざっくり調べる時、等に便利です。壁打ちです。
・単純計算や経費計算等は良く間違えます。
・毎週日曜朝に、その週の医学ニュースTop10、精神医学ニュースTop10、医療ニュースTop10、政治・経済ニュースTop10を解説付きで届けてくれます。これはかなり助かります。

・Google Gemini:時々無料版を使っています。

・Claude:ほぼ使っていません

現時点では私の用途ではChatGPTを使う機会が最も多いですが、それぞれ得意分野があるため、今後も試していきたいと思います。

★6 最近面白かったもの
<TV> 
・継続:豊臣兄弟、ブラタモリ、VIVANT2
・単発:なし

<Amazon Prime>
・なし

<Youtube>
・千鳥:チャンスの時間:ノブの好感度を下げておこう、が面白かったです。
 →絶対に仕込みがあると思いますが、大悟さんのリアルタイムのいじりの能力がとても高いと思います。

<ブログ> Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文 (コロナ関連情報、脳神経内科情報が充実しています)

2026.11.1  豊田土橋こころのクリニック 院長

2026.11.01 | 医院ブログ